
vol.3 「いも割り」の思い出
私の実家は、北海道で農業を営んでおり、現在は弟夫婦があとを継いでいる。
現在は作っていないが、昔は「じゃがいも」も生産していた。
このサイト内の「じゃがいも」のところにもありますが、種をまくのではなく”種いもを植え付ける”という方法で作られるじゃがいも。
昭和50~60年代のじゃがいもを植え付ける工程は、人力がすべて。
1つの種いもを、よく発芽しそうな部分を数個に分けるために包丁で切れ目を入れ、それを手で割り、割ったものを機械で植え付ける。
自宅の横にあるハウスには、春になるとたくさんの種いもがコンテナに入って登場。
その種いもに、母が包丁で切れ目を入れミニコンテナ(通称ミニコン)へ、たまってきたら別の人がそれを割る。
無数にある種いもの作業、ミニコンも種いもが満タンに入るととても重く、切るのも運ぶのも上半身を酷使する大変な仕事。
母はその他の作物の準備も並行して行いつつ、家事もしていたと思うと、本当に大変だったろうなと今更ながら思う🙂↕️。
その種いもを割る作業、我が家では「いも割り」と呼ばれていた仕事。
当時小・中学生だった私と弟のアルバイト💰となっていた。
まぁ、今考えると、うまいこと使われていたのだが。
ミニコン1箱につき〇〇円と決められて、己の限界がくるまでハウスでいもを割り、正直に数を申告してお小遣いを稼ぐ。
これが春の放課後と休日の風物詩。
外はまだ雪解けの最中で、ハウス周りはドロドロのため、長靴に履き替えて入場。
ノルマはなく、本人のやる気スイッチが入ればやるシステム。
とはいえ、当時はお小遣い欲しさに結構頑張っていた。
AMラジオを聞きながら、外よりほんわか温かいハウス内で黙々と作業、今でもラジオを聞くとちょっと当時を思い出す。
もちろん、植え付けと休みが合えば、容赦なく畑にも駆り出されていた昭和の時代の子供。
今思えば普通の人では体験できないことを多々させてもらっていたのだが、当時は子供、早くおやつの時間になれ、早く帰りたい、と思いながら嫌々作業していた思い出。
いつしか実家ではじゃがいもの生産をやめてしまったため、現在は母が趣味で、家庭菜園としてじゃがいもを育てている。
私の子供が小さい頃は、帰省の際にいも掘り🥔をさせてもらったりして、大いに畑を利用させてもらっていた。
母が元気なうちは、家庭菜園に尽力してもらいたので、時々食べたいものをリクエスト。
リクエストされると、母のやる気が出るらしいので、決して強要ではなく、winwin🤗の関係性だと思っている。
北海道の春は、農家の皆さんにとってはとても多忙な季節🌱。
くれぐれも無理せぬよう乗り切ってもらいたいと心から思っている。
